第465回 獺祭に学ぶ 温故知新

 『温故知新』という四字熟語がある。

 これは中国の諸子百家の時代、孔子の『論語』の中にある言葉で、前に学んだことや昔の事柄をもう一度調べたり考えたりして、新たな道理や知識を見い出し自分のものとすることとある。

 このことこそ、これからの生き残りの時代の一つのキーワードではないかと考えている。

 さて、先週の『獺祭』について触れて行きたい。

 獺祭は前述のとおり、日本酒の中で今最も人気のある日本酒と言っても過言ではなく、市場ではなかなか手に入らず幻の酒とまで言われている。

 特徴としては、『酔うための酒から 味わう酒へ』ということを掲げ、吟醸、大吟醸へこだわりをみせ、磨き二割三部という純米大吟醸酒を製造した。

 また、杜氏という古来より続く造り酒屋専門の職人制度を廃止し、従業員全員で酒造りを行うということをおこない、コンピューター管理を行い管理することにした。

 そのことにより、安定した製造と妥協をしない酒造りが行えるようになったという。

 ここで注目したいのは、新たな取り組みという部分である。

 正直、様々な品評を耳にする中、獺祭の関係者には申し訳ないが、賛否両論様々である。

 もちろん称賛の声も多いのだが、古くからの日本酒の愛飲家の中には、日本酒らしさに欠けるや、澄み切りすぎていて別の酒であるなどといった声もあるのだ。

 ここで、獺祭の味について述べるのは控えるが、当然のことなのかもしれないが、新しいものに取り組む際には多くの批判があるということである。

 しかし、獺祭では、杜氏という制度は廃止したが、それ以上に原料の山田錦にこだわり、従業員には徹底的に妥協しない味作りを行い、苦慮に苦慮を重ねてできた酒が獺祭であり、そして、この酒のファンになる人が多くいるということなのだ。

 大切なことは、原点である酒造り、原材料へのこだわりや味へのこだわりは失わずに、新しい取り組み、かつての制度を廃止するという勇気なのだと思われる。

 百人いて百人に好まれるということは難しいし、現実不可能なのではないかと思われる。

 しかし、何が一番なのかはそれぞれであっても、百人に好かれようとする、好かれるための努力は惜しむべきではない。

 しかし、それはなにも奇抜な発想、奇をてらった施行というわけではない。

 しっかりと足元を固めた上で、上に建てるものが決まるのである。

 温故知新、まさに足元とは歴史、文化、そして原点なのではないだろうかと、そして、それを踏まえた上でどのように努力、工夫をしていくのかが大切なのだと、獺祭という努力と勇気の酒を飲み感じた。