第310回 全く異なる金融機関の対応

 ある旅館がちょっとしたリニューアルを検討していた。

 その内容は、食事処をいす・テーブルでの提供スタイルに変更するため、これら備品の調達および雰囲気を変えるための造作である。
 
 座布団に長時間すわるのは、若い人はもとより足腰に負担をかけたくない高齢者にも、敬遠されつつある。

 顧客の要望に旅館が応えるのは当然のことであり、経営者はその必要性をリニューアル計画書に取りまとめてメインの金融機関へ出向いた。
 
 この銀行は、十数年前に旅館本体を設備投資したときからの付き合いで、その後も事あるたびに、世話になってきたところだ。
 
 支店長や融資の担当者は数回代わったが、引継ぎもスムーズにおこなわれてきた。ところが今回はちょっと雰囲気が違った。
 
 支店長は、苦心して仕上げたリニューアル計画書を、ほんのわずか眺めたかと思うと、「御社の経営状況からして当行のプロパー融資は難しい。

 県の信用保証協会に打診するのでしばらく待ってほしい」との返事。
 
 わずか十五分たらずのやり取りに、ずいぶんクールな対応だとの印象を持った経営者だった。
 
 その後何の連絡もないまま一週間が過ぎた。

 しびれを切らしたこの経営者は銀行に連絡を入れたところ、ようやく担当者が旅館を訪れた。
 
「売上高に対して借入額の割合が高いうえ、つい数ヶ月前にも運転資金を借りたばかりだ。

 今回さらに借入額が増えれば、今以上に資金繰りが苦しくなる」というのが保証協会の見解だという。
 
 この話を聞いた経営者は、担当者に詰め寄った。

 「保証協会の見解はわかったが、メイン行であるお宅はどう思っているのか?」

 これに対して明確な回答がない姿勢に限界を感じた経営者は、知人の勧めで別の金融機関を紹介してもらった。
 
 幸いにもこの銀行は、経営者の話を親身になって聞き、運転資金と設備資金のバランスを調整したうえで、支店長自らが何度も保証協会に出向き、融資が決定した。
 
 後になってわかったことだが、前の銀行は、担当者が事務的に保証協会へ打診しただけだったのだ。
 
 すべての案件に通じることではないが、金融機関の動き方によって、結果は大きく変わることがある。

第309回 「顧客満足」と「従業員満足」

 首都圏近郊のある温泉地に立地する客室数20室に満たない小規模旅館のことである。 
 
 財務的には毎期フル償却をして経常利益を出し続けている。数年前にリニューアルを行ない投下した資本を順調に回収してきている。
 
 山に沿った敷地に立てられた旅館は、施設的にはいろいろな制約があり、客室や廊下等のパブリックは、かなり狭い。しかし、経営者や女将のセンスが光る演出が随所に施され、マイナス面を十分カバーしている。
 
 客は直のリピート客と口コミ評価の高いネット系エージェントからの送客が大部分をしめ、既存エージェントとの付き合いはほとんどない。
 
 スタッフは20代、30代が中心で、最近流行の元気なラーメン店を連想させる。
 
 そして社長以下全員で接客、掃除、企画等あらゆる仕事を何役もこなす。また、客をどうやったらもっと喜んでもらうかというテーマで、毎週ミーティングを行い、その結果をメルマガで随時発信している。
 
 この積み重ねが、旅館のレベルを少しずつ上げ、コストパフォーマンスの高い宿として定評を得ている。
 
 この旅館ではチェックアウトが12時、チェックインが14時という時間帯を設定しており、このわずか2時間のうちに、いかにして館内を清掃しすべてをリセットするかということで半年取り組んできた。
 
 このような普段客の目に触れることのないことも、ネットで告知していく予定である。
 
 これは顧客満足(CS)だけではなく、同時に従業員満足(ES)も同時にアップさせていかなくてはだめだという経営者の哲学がある。
 
 たしかに顧客満足をアップさせるためには、従業員がその気になり、仕事のやりがいを従業員が感じなくては成り立つものではない。
 
 この旅館は従業員が一生懸命笑顔で働いている。それは働き甲斐を感じているからであり、職場としての旅館のあるべきモデルとなっている。
 
 従業員が言うことを聞かないとか、レベルが低いというばかりで一向に状況が上向きにならないところが多いが、その旅館の「あるべき姿」を経営者自らが、具体的にイメージできていないことがそもそもの原因だ。

第308回 顧客の価値基準の変化を把握しているか

 先日、知り合いのフレンチレストランオーナーシェフから、洋食レストランへの業態転換の相談を受けた。

 地方はもちろん東京でも正統的なフランス料理を提供するレストランは経営が成り立ちにくく、ブライダルや創作フレンチ、和食とのコラボといった新展開をしなければ客がついてこない状況にあるという。

 この現象にはいろいろな背景があるが、中でも大きいのがメインターゲットの高齢化にあるという。

 今、このレストランの中心客層の年齢は五十代後半から六十代前半だという。

 二、三十代の客はランチには来店しても、夜の来店はまず見込めないとのと。

 このオーナーシェフは、これから五年先までを想像すると、今の客層が自然減し、経営が成り立たなくなるのは必至だとの見通しをたてた。

 そこで客単価は大きく落ちるものの、幅広い客層に間口を広げた洋食という分野に転換し、しかもフレンチシェフがつくる本格洋食という特色で差別化を図る目論見だ。

 今までターゲットとしていた客層が時の流れとともに減少し、次の世代が全く時代感覚や価値観が異なるため、今のままのスタイルでは将来が見込めないというのは、旅館経営にもそのままあてはまる。

 しかし、これから五年先のスパンで人々のライフスタイルの変化を予想し、旅館という業態や提供サービスの中身を検討している旅館は非常に少ない。

 それどころか、五年前と現在は確実に客が変化しているのにもかかわらず、旅館が何も変わっていないという実態がある。

 旅館が今後も存続していくためには、変わらない根幹の部分はともかく、変わっていくべき部分が相対的に多いのではないか。だが、今までの経験や実績、前例をベースに物事を考えたり判断したりする癖があると、時代の波に取り残された旅館になってしまう。

 レストランも旅館も来店してもらえなければ何も始まらない。どんなにおいしい料理や伝統ある店であっても、客がわざわざ利用する価値が見出されなければいけない。

 今後の経営戦略はこのような顧客の価値基準の変化に基づく行動パターンを機軸に意思決定されなければ、判断を誤ってしまう。

第307回 客にとって魅力ある企画商品なのか?

 ある旅館で商品企画会議に参加した。前年のチラシをもとに加筆修正をしたものができあがりつつあるところで社長から「待った」がかかった。

 一度すべてリセットして全く新しい発想で商品をつくっていこうということである。

 これには毎回プランを作っても計画通りに売れたためしがないという背景がある。

 ちなみに他の旅館がどのような商品を出しているかをネット検索してみた。ほとんどが「企画」あるいは「プラン」という名称を使い、見れば見るほどその差が分からなくなるものばかりだ。

 今回、この旅館で力を入れようとしているグループ客向けの「記念日商品」においても同様だ。

 記念日と称しながら大半が料理内容の説明で記念写真を有料で撮りますというわずかばかりのソフト対応がついているにすぎない。

 結局はプランの数が増えるとともに、料理の内容も多岐に渡り、厨房がパニックになるだけである。

 要するにソフト面の特徴にはほとんど手をつけず、料理の内容でバラエティさを出す方向に走っているのである。

 客から見れば、記念日を演出してくれる提案がないため、結果的に料金交渉で選択が行われる。これでは利益の生まない商品をつくって販売する従来の繰り返しと
なってしまう。
 
 そこで料理のバリエーションはあえて極力変えず、記念日には何をしたら客に喜ばれるかをテーマに商品開発を行うプロセスを提示したのである。

 今、客から見れば横並びの商品を提示している多くの旅館の中からどこを選ぶかは、施設と料金と口コミの要素が大きい。

 目に見えない人的サービスや料理は、体験して初めて評価が得られる。

 もちろん地元であれば、それぞれの評価が定着しているところであるが、客の心を捉えるものは、利用目的を明確に把握したうえでの旅館側の対応姿勢にある。

 わが旅館ならではの客に対する提供サービスを構築し、展開していくことは集客アップにおいての原点である。

 客の共感を得ないプランの羅列では、売れない商品を掲示しているにすぎない。
出来上がったプランのチラシを手に取り、旅館名を隠してみたら、自館の特色が一目
瞭然に分かるだろうか。

第306回 わが温泉地の再生をあきらめるのか?

 数年前、首都圏近郊のある温泉地に対して活性化の提言を取りまとめたことがある。

 その温泉地はかつて団体旅行が華々しかった頃は賑わいを呈していたが、その後地すべり的に入り込み数の減少傾向が進み、多くの旅館が厳しい経営状況にあった。

 このまま時が過ぎていくと、この温泉地全体の灯が消えてしまう危機感が漂っていた。

そこで個々の旅館のレベルアップとともに、地域で客を呼び込むスキームを確立し、全体で取り組んでいくことが急務であるという方向性を示した。

 当然具体的な行動プロセスをセットで提示し、これからが再スタートだと位置づけた。

 しかしながら残念なことに、その提言書は観光協会や各旅館の事務所の棚におさまったままのようである。

 この地では年に数回の決まりきったイベントの開催と単発のキャンペーンに留まっており、客が入る時期は限定されている。

 日中、温泉街を散策すると、あるじのいない飲食店や土産店、旅館の残骸がそのままされている。

 せめて更地になればいいが、土地の権利の関係でちぐはぐな景観が客を迎えている。

 この地は歴史ある温泉地で、昔からの派閥が存在し、政治をはじめとして何かと地域が二分されてきた経緯がある。

だから普段表向きは仲がよさそうに振舞っていても、どちらか一方が何かをやろうとすると、その中身はともかく、誰がその意見を言っているかによって地域の体制が決まってきた。

 我々部外者から見れば、そんなことを続けていたら、両方とも生きていけなくなるという警告を突きつけたのであるが、残念ながら結果としてそれを聞き入れることはなかった。

 数年後その地は、さらに旅館の倒産や廃業が続き、一部外部資本が入り込んで営業をしている旅館はあるものの、地域の魅力がますます乏しいものとなってきている。

 当時青年部を中心として、これから数十年を見据えたビジョンを自ら作り、実行していく以外に方法はないと、ひざを交えて語りあったが、その後実行する途中で、はやばやとあきらめてしまったのである。

 白旗を揚げた彼ら自身、一番後悔が残るだろうに。