第424回 経営者の資質を考える

 温泉旅館の親父というと語弊があるかもしれないが、その一面も備えつつも、当然のことながら、温泉旅館を経営する経営者である。

 なぜこのような話をするのかと言えば、経営者という立場を忘れがちなのではないかと思うことが最近多い。

 そこで、経営者として大切なことを確認していきたい。

 第一に考えたいことは、経営者は常識人たれということである。

 かつて評論家の竹村健一氏が雑誌やマスコミでよく使う言葉に、「日本の常識・世界の非常識」というのがある。

 一々「ごもっとも」と、テレビに向かって肯いている小市民であるが、この「常識」という言葉、今、実に蔑ろにされている感が強い。

 竹村氏の言う「常識」とは意味合いが若干異なるが、常識の中に、「礼儀」「作法」「慣習」「しきたり」「教養」「マナー」…こんな言葉を含めるとすれば、今日の日本の中で、正に「常識」なるものに大いなる異変が起こりつつある。

 つまり嘗てあったはずの常識なるものが全く通じないし、当たり前が当たり前でなくなっている。

 しかもこの傾向は、年齢の老若関係なく、また学歴、収入の高低、地域の別なく、全日本的に蔓延しているようで、社会学者の如く、時代変化の一現象というべきか、善悪の判定は別として、何とも摩訶不思議な国になりつつある。

 旅館や料亭、もちろん家庭にも「日本間」がある。

 日本間には必ず上座・下座が決まっている。

 もっと言えば日本間に限らず、会議室や応接室にも、自動車にも、エレベーターの中にも上座・下座の区別があるについては、これぞ究極の「日本の常識」である。

 そんなことお構いなしに、遅れて入ってきた人が一言の礼なく、どかどかと上座に鎮座するに至っては、開いた口が塞(ふさ)がらない。

 セミナーや会議、話す方も聞く方も、もちろん真剣勝負。

 そんな時必ずと言っていいかもしれないが、携帯電話の呼び出し音。

 あれほど何回も注意したにも拘らず、「もしもし」なんて、電話に出る受講者がいる。

 時代がどう変わろうと、やはり「嘆かわしい」と思っている。

 「常識」という言葉は、身上の人に対する敬意、年長者への思いやり、周りの人への配慮、環境や社会に対する心配りから成り立っている。

 これが美しい日本の風土や歴史に支えられ、日本人としての「プライドと教養の証」として、大きな誇りだったはずである。

 教養のない者が、人の上に立てない歴史的証明があるように、経営者たる者、誰に対しても恥ずかしくない常識を身に着けるべきであり、常識なしでは、世界に向けての貢献など、出来る筈がない。

 まずは、日本人としての誇りあるアイデンティティを、常識を再考することで、見つめ直してみたいものである。