「坊っちゃん」「田舎教師」、 一枚の写真に主人公のモデル2人   埼玉県立熊谷高で発見


2018.3.25

(埼玉県立熊谷高校提供)

 文豪、夏目漱石の「坊っちゃん」と田山花袋(かたい)の「田舎教師」の主人公のモデルが一緒に写っている写真が埼玉県立熊谷高校(同県熊谷市)で保管されていたことが24日、分かった。

明治34年に撮影された。日本近代文学の傑作のモデル2人が一緒に過ごした歴史を後世に残そうと、卒業生らが発起人となり、今夏、同校内に記念碑を建立する。

   

 熊谷高卒業生らでつくる記念碑実行委員会によると、写真は34年3月28日に旧制熊谷中学校(現熊谷高)の第2回卒業式終了後に撮影されたもので、卒業生が発見した。

 坊っちゃんの主人公である語り手のモデルとされ、熊谷中の教師だった弘中又一氏と、田舎教師の主人公、林清三のモデルで生徒だった小林秀三(ひでぞう)氏が一枚の写真に納まっている。当時、弘中氏は28歳、小林氏は18歳。写真の裏面に2人の氏名が明記されている。

 弘中氏は山口県出身。四国の旧制松山中学校で28年5月から約1年間、漱石の同僚だった。

33年に熊谷中に赴任し、約19年間にわたり数学を教えた。ドジョウを買ったが、入れ物がないためかぶっていた山高帽の中に入れて持ち帰った逸話も残されており、坊っちゃんの無鉄砲な性格をほうふつさせる。

小林氏は熊谷中の第2回卒業生。34年に現埼玉県羽生市の弥勒(みろく)高等小学校の教師となったが、3年後に肺結核で21歳で死去。当時、同市の建福寺に下宿していた。住職が花袋の義理の兄で、花袋が小林氏の日記を見て創作意欲にかられ、薄幸の田舎教師の物語を執筆したとされる。

 記念碑は熊谷高の卒業生から集めた寄付金で建立する。埼玉大人文社会科学研究科の杉浦晋教授は「モデル2人が一緒に写っている写真は新発見の可能性がある。記念碑の建立をきっかけに漱石と花袋の文学に関心を持つ人が増えるだろう」と話している。

 

 

【用語解説】坊っちゃん

 夏目漱石(1867~1916年)が明治39(1906)年に雑誌「ホトトギス」で発表した小説。松山の中学校に赴任した江戸っ子気質の教師が正義感ゆえに巻き込まれる騒動をユーモラスに描いている。漱石初期の代表作の一つで、自身も旧制松山中学校で教師をしていた。

 

 

【用語解説】田舎教師

 田山花袋(1872~1930年)が明治42(1909)年に発表した小説。夢多き青年が貧しさから小学校の教師となるが、田舎で埋没し煩悶(はんもん)する姿を描く。日本自然主義文学の代表的な作品。若くして病死した実在の青年の日記に着想を得て執筆した。

 

 

http://www.sankei.com/life/news/180325/lif1803250025-n2.html

 

「坊っちゃん」と「田舎教師」の記念碑を今夏に建立 埼玉県立熊谷高校

 

「坊っちゃん」と「田舎教師」の主人公モデル記念碑建立の実行委員を務める県立熊谷高校同窓会の長野順一事務局長(左)と米山実さん=15日、熊谷市の同校

 県立熊谷高校(埼玉県熊谷市大原)の卒業生らが今夏、夏目漱石の「坊っちゃん」と田山花袋(かたい)の「田舎教師」の主人公のモデルの記念碑を同校内に建立する。

坊っちゃんのモデルとされる弘中又一氏と田舎教師のモデル、小林秀三(ひでぞう)氏が一緒に写っている写真が見つかり、卒業生らが後世にその記憶を残し、後輩にも伝えていきたいとの思いから寄付を集めた。(黄金崎元)

 「みんなの力で記念碑が建つことがうれしい。誇りにしてもらいたい」。こう話すのは熊谷高第12回卒業生で熊谷市出身の米山実さん(76)。米山さんは70歳を過ぎてから地元の歴史に興味を持ち、母校のことを調べ始めた。

 そこで弘中氏と小林氏が同じ時期に旧制熊谷中学校(現熊谷高)に在籍していたことを知り、明治34年3月の卒業式終了後に撮影された写真が熊谷高に残っていたことも判明した。

 「熊高で英語を教えていた宮崎利秀先生が40~50年前に2人のことを調べ、資料を集めていた」(米山さん)という。その資料は同校に長く保管されていたが、100年以上の時間が経過したため、2人が熊谷中にいた事実を知らない卒業生が多くなっていた。

 

米山さんは2年前に当時の校長から頼まれ、母校の学生に日本近代文学の傑作のモデルとなった2人について講演した。昨年の同窓会でも講演し、そこで記念碑を建立する話が持ち上がり、実行委員会を立ち上げた。

 

 実行委は卒業生1人1万円の寄付を設定し、募金目標を200万円とした。ところが、募集を始めると応募者が殺到し、最終的に425人に達した。寄付者は記念碑に刻銘することとなっており、想定よりも人数が増えたため、石の大きさを変更。当初は3月に建立予定だったが、今夏にずれ込むことになった。

 

 実行委員で同校で体育教師を務め、第7回生の同窓会事務局長の長野順一さん(81)は「申し込みを締め切った後でもまだ応募したいという声が多く、断るのが申し訳ない」と語るほど、記念碑の賛同者は多かった。

 

 埼玉大人文社会科学研究科の杉浦晋教授は「2人の文豪の代表作のモデルが熊谷中学に一緒にいたのは興味深い」と話している。

 

 記念碑の碑文は熊谷中の卒業生で2月に亡くなった俳人の金子兜太(とうた)さんに依頼していた。米山さんは「金子さんに『進めてください』と言われていたのに、本当に残念」と話す。坊っちゃんと田舎教師の記念碑は金子さんの句碑の近くに建立されるという。

 

http://www.sankei.com/life/news/180325/lif1803250015-n2.html

 

2018年3月27日IKG(~飯島経営グループ)
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