第700回 最後の言葉

先日ある機会があり、経験豊かな看護師さんの話を聴くことができた。

「看護師をしていた時、何度も何度も最後の、言葉を聞きました

私の義理の母はいつも臨終の立会いの時『ご苦労様でした』と一言。

実母は『また会いましょう』と一言。

私は父との最後に『またお父さんの娘にして下さい』と。

みんな ありがとうの言葉を伝えてますよ、きっときっと」

病院で人が亡くなった時、医者が「ご臨終です」と言うが、死んだ人はそれが聞こえてるらしい。

人は死ぬとき、聴覚が一番最後まで残っているそうである。

だから自分の親が死ぬときは、心拍停止音の後、まだ聞こえてる間に、

「ありがとう」を先に言うべきだ。

今までの感謝の気持ちを伝えることが、最後の親孝行だと思う…。 

『最後の言葉』という実体験の話は、重く心に響いた。

 

その話を聞いてから、人間は亡くなる前に、意識がなくなったり昏睡になった時でも、恐らく耳だけは聞こえているのかもしれない。

救急救命士は、救急車に乗せられ昏睡状態の人に、根気よく話しかけたりすることを必ず要請する。これはやはり、意味のあることだし、ちゃーんと聞こえてる所以があるからだと思った。

先のベテラン看護師さん。

「私の妹の時もそうでした・・・・亡くなった後、妹は涙を一筋流したんですよ。

私達の声が聞こえたんだと思ってます。

私は大声で泣きました・・・」

 

親父が亡くなって30年近くが過ぎ去った。

今年、おふくろの三回忌を済ませた。

いずれも臨終に立ち会うことができた。

でも、

最期の言葉は、何も言えなかった。

もしまだ、両親が生きていれば、

こんなことをやっておけば良かった。

こんな言葉を言えば良かった。

でも、

思ったことできなかったし、最後の言葉は、何も言えなかった。

 

人が死ぬ時、聴覚が最後まで残っているどうかの、科学的論議は別として、最後に感謝の気持ちを伝えるチャンスがあるとしたら、素敵な時を共有できる。

それを言えなかった後悔は、いつまでも消え去ることはない。

が、「おやじ、すまん」「おふくろ、ゴメン」で過ごしてきたのも、まぁ、いいかな…と思っている。

だって、今でも家族だから。

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2016年9月25日IKG(~飯島経営グループ)
カテゴリー:飯島賢二のコラム


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